連載コラム
バッグ業界の変遷と               構造変化
久 野 康 一

            第1回(全6回)

 月日が経つのは本当に早いもので、僕が皮革製品業界で働き始めてから、すでに30年以上の歳月が流れてしまった。

 楽しいこと、充実した時間はもちろん数え切れないほどあったが、ときには辛いことにも遭遇した。
 中でもここ10年ほど、多くの関連企業が倒産してしまったことは寂しい出来事だ。若い頃から親しみを感じていたり、目標にしていたような企業が次々と消えていった。
 そのなかには真面目にモノ作りをしていた所もたくさんあったわけで、なのにこれだけ潰れてしまったのは、この業界のシステムのどこかに欠陥があるのかもしれない。僕は常々そんなことを考えていた。 

 そこで、これから何回かに分けて、この皮革業界について、過去から分析してみたいと思う。と言っても堅苦しい話でなく、わかりやすくまとめるつもりだ。これからこの業界に入ろうとしている人も、ただの野次馬気分の人も、楽な気分でご一読を。


●4職種で分配しているバッグ業界の利益
 アイソラはサイフが主力商品だが、僕が若い頃育ててもらったのは、バッグのメーカーだった。その経験からアイソラも、バッグ業界のスタイル、やり方を持ち込んだ企業なので、バッグ業界のシステムを中心に振り返ってみようと思う。
 バッグが革から商品になるまでには、おおまかに言うと次の4つの職種を通り抜けることが必要になる。


  問屋  






 メーカー  

メーカー



  職人  


 小売店  


市場へ

 バッグが商品として売り場に並ぶまでの流れで、中枢を担っているのがここ。商品を企画デザインし、メーカーと呼ばれる職種に渡す。

 メーカーはまず、渡されたデザインをもとに、職人にひな形のバッグを作ってもらう。

 職人は文字通り、革からバッグを作り出す。この後大量生産されるバッグのひな形のようなもの。

 職人に作られたひな形バッグは、メーカーに渡る。メーカーは、それにそって、一つ一つのパーツの革を型抜きしたり、使用する金具や裏地を集めたりする。つまり大量生産のための部品を作るわけだ。今の職人は、バッグをラインにそって組み立てていく「組み立て工」という側面が強い。職人が組み立てやすいように下準備をするのだと考えればわかりやすい。メーカーはある意味、手配師のような存在だといえるだろう。
 そして再び職人にパーツを使って作らせる。そしてそれを問屋に納品する。

 問屋は、メーカーが指示通りの商品を職人に作らせていたなら、納品されたそれを買い取る。そして、展示会などを開催して商品を披露し、小売店やデパートから注文を受ける。受注された商品を、各店に卸す。

小売店は問屋に発注し、納入された商品を売り場にディスプレイして一般客に売る。

 つまり一つのバッグが出来上がって消費者の目に止まるまでには、問屋、メーカー、職人、小売店という4つの段階を複合的に経由しながら通っているわけなのだ。つまり、一つの商品を売って儲かる利益を、この4職種で分配しあっていると言うことになる。


●戦後の混乱期に住み分けができたメーカーと問屋
 こういう形になったのはいったいいつからなんだろう。ちょっとその歴史を繙いてみようと思う。
 第二次世界大戦後、日本中が焼け野原の貧しい時代があった。そんな戦後の動乱期に、日本人はたくましく立ち上がり、復興にフル回転し始めた。モノが全くない、どんな商品でもあればあっという間に売れるような時代の到来だ。モノ作りが得意な者はなにかを作り、売るのがうまい者は、それをかき集めて売りさばいた。それが、職人と問屋の始まりだ。

 僕の知り合いのハンドバッグ職人は、当時、片田舎の左官職人だったけれど、親戚を頼って東京に出てきてこの仕事に就き、いまでは名職人≠ニいわれるほどになっている。
 僕が昔働いていたバッグ問屋は、復員軍人だった社長が戦後の混乱期に会社を立ち上げ、あっという間に業界の中堅会社にまで拡大してしまった所だ。今では有名な銀座の小売店だって、当時は晴海通りに戸板を並べてかき集めた商品を売っていたのが始まり。そんな、活力とチャンスに溢れた時代だったのだ。
 そのころは今のように、出来や完成度にこだわる人もおらず、とにかく形になっていれば飛ぶように売れた。職人は作れば作るだけ収入を増やすことができるから寸暇を惜しんでバッグを作りたい。なのに注文取りや素材集めによけいな手間や時間をとられたくない。当時、そんな職人達の都合から成立していったのがメーカーという存在だろう。

 そして、職人と小売店の間で、生産管理はメーカー、販売管理は問屋と、二つの役割を分担する2職種ができた。この4つの職種で利益を分け合っても皆が生活できるほど、この業界は潤っていたのだ。そしてその勢いは15年ほど前のバブル期終焉までずっと続いていた。そう、この業界はあのときまで、不況知らずだったのだ。


●高度成長期の拡大で、利幅の薄い業界に
 しばらく黄金期が続いたが、1960年代ごろ、一つの転機が訪れた。
 それまで、小売店といえば、そのほとんどが自分の土地や借地に1店舗を立てた個人商店。業界で“パパママショップ”と呼ばれる、夫婦や家族が中心となって切り盛りする小さな店だった。
 それが、1970年代に入り、市場規模が急激に拡大したのだ。日本中で街の再開発が盛んに行われ始め、駅前や街の中心部に競ってショッピングセンターや商店街が誘致されたからだ。

 ファッションフロアにはなくてはならない存在のバッグ専門店も、もちろんそのなかにバンバン誘致された。ナショナルチェーンと呼ばれる、国内制覇を目指すようなチェーン店が乱立するし、もとからあった地域一番店もそれに負けじと対抗して出店する。そんな熾烈な競争を繰り広げているうちに、あっという間にオーバーストア状態と呼ばれるまでになってしまった。

 またこうした形態の出店にはもう一つ、新たな特徴があった。ほとんどがテナント出店となるため、売り上げ歩合や家賃などの形で、ショッピングセンターの管理会社という新たな職種が、バッグ業界に割り込んできたのだ。

 オーバーストアになりつつあったところに、先に出てきた4つの職種に1職種が加わることで、利益の分け前はますます薄くなり、この業界はどの段階でも利益の出にくい商売になってしまったのだった。
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