連載コラム
バッグ業界の変遷と               構造変化
久 野 康 一

            第4回(全6回)

 前回は、バッグ問屋という役割について、ブランドバッグの変遷を追いながら説明してみた。
 今回はその後半として、なかでもブランド・ブームの軸となった「ライセンスブランド」の盛衰について書いてみようと思う。

百貨店で歓迎され、育てられたライセンスブランド
 前回、ライセンスブランドの成り立ちについて説明したが、この独特のビジネス形態は、一部の店では大いに歓迎された。たとえば百貨店など、一つのブランドをトータルに展開することで、広い売り場を統一したイメージで作り上げることができる。このうえなく便利な存在なのだ。そんなわけで、百貨店の平場がどんどん、ライセンスブランドで占められるようになっていった。

 だから、ブランド・ブームの後半を支えているライセンスブランドの爆発的な人気は、大手百貨店によって仕掛けられたものなんじゃないかと僕は推測している。実際、いくつかの名の通ったブランドは、百貨店がマスターライセンサーとなって販路を独占していたし、その商品を作らせることで問屋の一部を傘下に治めたところもあったくらいだ。

 この、「ライセンスブランドへの傾倒」を決定的にしたのが、レノマじゃないかと思う。レノマは、確かパリにあったバッグ屋で、ライセンス契約する前に僕も見たことはあった。ベーシックなデザインにベーシックな茶系の色遣い、全面にネットを張ったショルダーバッグは、あの時代を象徴するアウトドアのエッセンスを街着に取り入れるファッションにマッチしていて、とても粋だった。けれどまさか、何年かあとに数十億も売れるようなビッグネームになるとは、その時は想像もできなかった。

 80年代後半のレノマ人気がどれほどのものだったかというと、当時オシャレな女性のバイブル的雑誌「アンアン」の読者アンケート「いま一番欲しい物ベスト10」で、トップになった。レノマに対する強い憧れのイメージが少しは伝わるだろうか?
 そしてこの、パリのバッグ屋のライセンサーになった日本企業は、その後、世界販売権まで手に入れて飛躍的に成長し、文字通りバッグ業界のトップにまで上り詰めた。

直営店の進出で時代は変わり始める
 その後も、ライセンスブランドは急速に拡大していった。資本力のある業界大手は、お金に任せて買い漁るように、少しでも名の売れたヨーロッパのブランドや、当時世界のファッションをリードしていた日本人のデザイナー・ブランドと競うように契約を交わした。
 一方、資本力のない中小・零細問屋は、そのころどうしていたのだろう。 こちらもやはり“右へならえ”で、ブランド漁りを始めていたのだった。とはいえ資金がないために有力ブランドとは契約できず、でっち上げのようなブランドまでまかり通ったこともある。

 そして、百貨店のバッグ売り場はますますマークのついたライセンスブランド品一辺倒となってしまった。この流れは専門店の売り場にも及び、数多のブランドが現れては消えていく、淘汰を繰り返した。 そして、デザインの切り口や商品の完成度などにはまるで関係なく、ネームバリューだけで売れ行きが決まるという、おかしな時代が続いたのだった。

 そんなライセンス時代が、1990年代に入り、変化の兆しを見せ始める。日本の商社にライセンシーとして名を貸していたビッグネームのナショナルブランドが、次々と百貨店のなかに、直営の売り場を作り始めたのだ。 これまでのライセンス契約は打ち切られ、日本国内に本国の支社が置かれ、本格的に商品を提供し始めたのだ。

 彼らはここにきて、ようやく日本市場の大きさに気がついたのだろう。しかも企画はライセンシー側が練って、生産は中国で行っているのだから、わざわざ日本の商社を使わずとも自分たちでできる商売だ。そして、ライセンスブランドに飛びついていた客層は、そっくりそのままナショナルブランドの直営売り場に流れたのだった。

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