◆日記のバックナンバー◆
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クノッピーの豆日記

2004.5.22
ブログを始めて3ヶ月が過ぎようとしている。2月頃だったかな、ネットの世界に詳しい友人と一杯呑んだときに、「久野さん、ブログをやってみないか」と誘われた。ぼくが毎日チェックしているホームページの管理人が何やら日記を書き始めて、それがブログだと言っていて、ぼくには何のことやらさっぱりわからなかったけれど、ちょっとやってみたい気持ちはあった。アイソラのホームページには「豆日記」なんてコーナーを作ってあるけれど、アップするのもメンドくさくてなかなか更新できないでいましたからね。でも日記なんてぼくは昔から三日坊主で終わってしまっていたし、まして日記って日常をさらしてしまうから、ぼくがネット上でスッポンポンになってしまうような気がするじゃないですか。あまり気が進まないなァ。

それでも気を励まして、3月になったら始めてみたんですよ。今のところ80%くらいの確率で書いているかな。途中で「やっぱりそんなにたくさん書くことないよ、ぼくは話題に乏しいのだから」などと、何度も挫折しそうになったけれど、とりあえずはまだ続いているぞ。ぼくはプレッシャーに弱いから、いつの日か「書かなければ」と思った時には止めているな。

ぼくはブログでぼくの毎日の出来事や考えを書いていこうとは思っていない。それよりは毎日届くホームページの読者やユーザーからのお便りを迷惑をかけない範囲で紹介したり、アイソラと接しているたくさんの人たちの仕事ぶりを紹介したいと思っている。でも悲しいかな、ぼくの才能の限界で、どうしてもぼくの日常の記事になってしまっている。ほんとうはみんなで作ってくれているアイソラ・ワールドの一端を少しでも紹介できればと思っているんですけれどね。

いつかはそんなぼくの理想のブログにしていきたいと思っているので、温かく見守っていてください。・・ってぼくが言えることじゃないな・・。まだまだ認知されていなくて、ホームページに来てくれる人の1/4くらいしかブログに来てくれていない。そんなにぼくのブログはつまらないか。・・って怒ってどうする・・

たまにはブログにも遊びに来てくださいね。「どうすれば見れるの?」って言う人、アイソラのトップページの左側の中段にあるISOLA blogをクリックしてください。 go ahead quickly.

2004.5.6
リニュアルオープンしたKOREDO日本橋に行って来た。ぼくは白木屋のころから知っているけれどその後は東急百貨店になって、そのころはぼくは蔵前に住んでいて近所の人はデパートというよりも、スーパー代わりにお総菜などを買いに行ったもんだ。そして去年だったかな、東急が撤退するというので大きなニュースになっていた。

最近の丸ビルなどに慣れてしまうとどうにも狭さを感じてしまう。もともとの敷地が狭いうえにソニープラザなどの雑貨ショップが中心なので、商品があふれているようで、ところどころに休憩用のソファなど置いてあって気は使っているのだけれど、ちょっとな。「ウヘ!」というのがぼくの印象だ。もうみんな持つべきものは持ってしまい、いらないと言う人に買ってもらわなければいけない現状なのに、いまだにこのようなショッピングセンターって必要なのかな。  

表にでてしばらく歩くと高島屋の入り口に見慣れない靴屋がある。ベルルッティというメンズシューズでここはカッコいい。思わず気に入ったら買ってしまおうかと店に入ってみるとtoo expensiveだ。あとで調べてみたら門外不出のヴェネチア・レザーという革を使用しているという。以前アイソラでも扱ったという革に似た、クラシカルないい革なんです。デザインがぼくの好みとは違うので買うことはできなかったけれどいい店だった。でも日本橋高島屋、ルイ・ヴィトンといいここといい、1階の一番いい場所は全部他人のふんどしじゃないか、情けない。

ここまで来たついでに久しぶりに銀ブラしようという気になった。メルサの前あたりだからあの辺だと2丁目かな、中央通りのかどにやけにきれいな店がある。ウィンドを眺めたらゴールドファイルのショップができたんだ。店内に入るといきなり接客されてしまった。たしかに客は少ないからしょうがないけれど、もう少し勝手に見させてよ。コンテスといってホースヘア使いでおなじみのバッグも置いてあって、同じグループの会社だという。たぶんどっかの商社がまとめて代理店契約でもしたんだろうな。

ゴールドファイルはぼくは昔から帝国ホテルのインペリアルタワーなどでチェックしていたドイツのブランドだけれど、あのような路面店に置いてワンブランド・ショップを作るような商品じゃないと思う。そしてショップの作りも商売一点張りで「さあ買え、さあ買え」といわれているようだし、店員さんはウザイし、ぼくはパスだな。

中央通りから1本有楽町側に入った通りの松屋の前あたりかな、今ぼくが一番気に入っているイル・ビソンテのショップがある。さすが老舗レナウンが運営しているだけあっておシャレなショップだ。レナウンは僕たちの世代だとかまやつひろしのCMソングがすぐでてきてしまうけれど、そして今経営的にはたいへんみたいだけれど、やっぱりぼくたちのファッションりーダーだっただけあって、ツボはつかんでいますよ。

ぼくたち皮革業界にいた人間にとって、80年代ってエポックメーキングな時代だった。70年代にファッションに触れてイタリアに憧れて絶対に欧州ファッションには追いつけないなと思っていたら、アパレルの世界ではいつのまにかヨーロッパを追い越して、世界に多大な影響を与える日本人デザイナーが輩出した時代だったんです。DCブランドなどと呼んで市場は彼らのファッションが席巻していた。でも奥行きの深さというのかな、それが伝統の力というのだろうけれど、ショップに入ると「参りました」というしかないお店やブランドがいくつもあった。ぼくにとってのそのうちの一つがイル・ビソンテなんです。

銀座のショップはそんなころのイメージを色濃く残しているんですよ。もしかしたらそのころを知っている人がプロデュースしたのだろうか。でもしばらく前に日本橋三越にあった
イル・ビソンテのショップもやっぱりそんな匂いはあったし、やっぱりこのブランドの伝統の力なんだろうな。「売るぞ」なんて少しも感じさせず、「革ってこんなこともできるんだよ」なんて語りかけてきて、「イタリアの革っていいだろ」って自慢されているようで、つい長い時間をブラブラと店内で過ごしてしまいます。店にとっては売り上げにならないイヤな客だろうな。

最近街を歩いていると懐かしいような、いかにもヨーロッパの皮革を使った良質のバッグを持っている女性が増えてきているような気がします。実用的だけれど面白味のないトートバッグやナイロンツィール使いのバッグ、一目で値段までわかってしまうナショナル・ブランドもいいけれど、そろそろそんなクオリティの高い皮革製品が街に溢れる時代がこないかな。


2004.4.4
さっきTVでHONDAの福井社長が、「だいじなことはHONDAらしさやアイデンティティーを大切にすることだ」と言っていた。昼のニュースでもどこかの会社の入社式でおなじような挨拶をトップがしていた。横並びで右肩上がりの拡大を志向してきた企業が、長引く不況のなかで学んだ生き残り策が、他社と差別化することで競合に勝つということなんでしょう。ビッグワンよりもオンリーワンですね。いくらへそ曲がりのぼくでもこれには逆らえません。そのとうりですからね。まあみんなが同じことを言い始めたのが気に入らないだけかな。でもよく考えてみたらちょっと違うんじゃないかなという気がしてきました。

社屋にカッコいい建物を作ったり、イケメン社員を採用したり、ISOを取得したり。たくさんの企業がさまざまにカッコつけはじめて、いかにもその会社独自のアイデンティティーを発揮したように見せているけれど、一番大切なのは扱っている商品にその会社のアイデンティティーを感じさせることができるかということじゃないかな。

会社が正当に評価されるのは、取り扱っている商品を通してでしょう。ごみを出さないとか税金をたくさん払っているとか、それはそれですばらしいことだけれど、やっぱりどんな商品を世の中に送り出しているかでその会社の評価が決まると思う。そしてその商品に会社のコーポレイテッド・アイデンティティーが反映されていることが大事なことだと思う。HONDAとかSONYとか、そんなgoodな会社ってカッコいいですものね。最近SONYは製品がちょっとカッコ悪いけど。

アイソラみたいな小さな会社だって、ぼく一人ですべて決めているわけじゃないし、製品を作ってくれているのはアイソラの社員じゃない職人さんです。だからやっぱりみんなで共通の認識としてコーポレイテッド・アイデンティティーは必要なんです。はたして今アイソラのサイフにアイソラらしさが出ているんだろうか。

2004.3.4
去年濱野皮革工芸が倒産して、引き続いてアディロンがADIRONとして再スタートしたと思っていたら、先日はウィンターが後を追ってしまった。ハンドバッグ業界以外の人がこの文を読んでも何がなんだかさっぱりわからないとは思うけれど、みんなこの業界では問屋と呼ばれる業種で、それぞれ一時代を画した会社なんです。ばくはバッグ業界のなかで育ったサイフ屋なので、みんなぼくが若いころから知っていて、憧れ続けてきた会社なんです。

濱野皮革工芸はホームページに書いてあるけれど、明治13年創業の老舗で最初は日本刀のつばや鞘を革で作っていたけれど、大正時代にバッグを作り始めたということです。ぼくが初めてこの会社を知ったころは1972年ころのことだけれど、銀座和光の一番いいステージに置かれていて、気品のある気高ささえ感じさせるハンドバッグを作っていました。

アディロンのバッグを初めて見たのもその頃のことだった。まだ社名も前身のままで、その頃のカジュアル・バッグの泥臭さが抜けていて、オシャレなバッグを作っていた。1980年代に入るとジュンコ・シマダのライセンスで主要デパートの売り場を席巻して、今では信じることもむずかしいとんでもない売り上げをたたいていた。契約しているブランドも良質だし一時は株を上場する噂さえあったのにな。

ウィンターも1970年代を引っ張っていた会社です。デザイナー主導型のプライベートブランドという、今では当たり前のスタイルをこの業界に持ち込んだパイオニア的な会社といえそうです。当時は職人がデザインを考えていた時代で、そのころデザイナーがいるバッグ屋なんて数えるほどしかなかった。最近までとても女性的ないいバッグを作り続けていたのにな。ぼくは10年以上前に数年間ウィンターのブランドのサイフを作らせてもらっていたけれど、社内の雰囲気も暖かくてとてもいい会社だった。

こんなにいい会社ばかりがドンドン消えていくって、たぶん景気のせいだけじゃないな。どこかに構造的な問題だろうか、大きな原因があって、それが障害になって必然的に倒産していったような気がする。すこしゆっくりこのことを考えてみよう。


2004.1.27
久しぶりに友人と一緒のスノーボードのせいだろうか、みょうにハイになっていてやたらとスピードは出すし、朝からやたらとコケているんですよ。そして今年のマイ・ボードはトリックを意識してゲットしたものだから、軽くってバランスがむずかしく、エッジもひっかかりやすく感じていました。スキー場は昨日の大雪のあとの今日の暖かい晴天なのでやわらかくって、まあ危険な条件は揃っていましたね。

もう2時も過ぎて疲れてきたし、そろそろ上がってお茶でもしようかなと思っていた頃です。友人にタイミングの取り方を教えようとちょっと無理な動作をしていたら、いきなり外エッジを引っ掛けて逆エッジ食って大転倒をかましてしまいました。2回転目の最後、うつぶせになってようやく回転が止まるぞと思っていたら、前エッジが雪に刺さって膝にするどい痛みが走ります。「アッ、やば〜」
ココにお世話になってます。ドクターお願い、早く直してね
LEKIのストックにもお世話になっています。トレッキング用に買ったんだけれどな
でも立ち上がって走り始めたらなんとかいけます。「ちょっと痛みがあるので先に下に行って休んでいるね」と言い残して、レストハウスでお茶呑んでボーっとしていたらだんだん痛みが増してきました。「オイオイ、まだ始まったばかりなのにぼくのウィンターシーズンはもう終わりか?」

東京に帰ってきたその夜は痛みに寝返りも打てず、ウツラウツラと一晩過ごしました。そして朝起きて意を決して医者に行きます。「医者に骨折と言われたら今シーズンは終わってしまうし、1週間ほど我慢したら誤魔化せるんじゃないか」などとは思ってみたけれど、悪化して今後体を動かせなくなっては元も子もないし。「もういいよ今シーズンは」と覚悟を決めようと思い切れたのはもう明け方の頃でした。相変わらず往生際の悪いヤツだな、ぼくは。

「ここ痛い、ここは」などと医者に聞かれて、「全然痛くない」とうそをつこうとは思うのだけれどつい顔をしかめてしまいます。「アッ、痛いんだ。ここは」と医者は攻めてきます。昔スキーでくるぶしを骨折したときはこんな痛みじゃなかったから、絶対に大丈夫だとは思うのだけれどだんだんハートが暗くなってきた。

「スノーボードでやったんだね、この怪我は多いんだ。」などと鼻歌気分でシップを始めて、「ギプスで固めるほどじゃないな」とようやく暖かいお言葉を聞くことができました。「典型的な膝靭帯損傷です。切れていないから2週間で治療、その後リハビリで全治1ヶ月、たいしたことないよ」。よかった、ぼくの今シーズンはまだ終っていないかもしれない。

日伊ハゲ対決といわれても文句は言えないな
真剣な打ち合わせが伝わってくる写真だな
これも打ち合わせ中です。何の話をしているのかはもう忘れた。

2004.1.22
今年の秋冬シーズンに向けたレザーフェアが、1月22・23日に浅草の産業会館で開催されました。もうぼくは何10年通っているのだろう。ぼくのなかでは、新しい素材を見つけるというよりも流れを知るという意味でとても大事な展示会です。最近はイタリアからも出店するので商談もできるし、なお一層大事になってきました。

展示会の前日に、出店予定のレグノタン社のMr、エミリオがアイソラに表敬訪問に来てくれました。レグノタン社は長い間アイソラのパイソンを作ってくれていたカラベル社がゴタゴタ続きになってしまった後、アイソラのパイソンやエトルソなどのヘビ革を作ってくれている会社です。「私たちは技術はあるのだけれどトレンドはわからないので、なんでも相談してくれれば挑戦します」などとイタリアの会社にしては殊勝なことをいってぼくを喜ばせます。

展示会場では出店しているテンペスティ社のMr、エミリアーノと久しぶりに再会して、新色の打ち合わせです。テンペスティ社の革はアイソラの定番になっているし、もうお互いがわかっているから話が早いや。

そしてまた会場をブラブラします。やっぱりなにか新しい方向を知りたいし、新鮮な素材を見つけることができたらラッキーですからね。国内のメーカーのブースにはほとんど立ち寄らないで、足はついイタリアの革屋さんのブースに向いてしまいます。ぼくは舶来崇拝主義者じゃないんだけれどな。

しばらく前から悩んでいることがあっったんだけれど、去年ある商品を見たときにその悩みが解消されてしまったんです。そしてそんな雰囲気の素材をどうしても近々見つけなければいけないというプレッシャーがあるんです。だから今回の展示会はけっこう真剣なんです。そしてようやくあるブースでそんな素材に出会いました。ぼくなりの解釈してサンプルオーダーをしてきたけれど、正しかったのかな。間違ってしまったかな。こればっかりは製品化してマーケットに出してみなけれわからない。これが醍醐味だな。


2003.12.20

いつものように目を覚まして外を見たら雪が降っています。昨晩湯田中の駅を下りたときも降っていたので、ようやく恵みの雪が降ってきたなという程度の思いしかなかったんです。そして今日は新雪が深そうだからスノーボードにしようと決めて、今シーズン最高の日だぞなどと思いながら宿を出ました。このあととんでもない不幸が襲ってくるなんて思いもしなかった。


先週までは紅葉の時期みたいだった湯田中も、すっかり雪化粧してしまいました

昼ごはんを食べ終わっって表に出てみると、降ってくる雪の濃度が違うんです。メチャメチャ濃くって風まで強くなってきて、TVで見た東北の地吹雪ツァーみたいに地面から雪が舞ってきて、前なんて何も見えなくなりました。これじゃ滑っていても面白くないから緩斜面に移動して練習しようと思い、ブナ平という志賀でも一番初心者向きの広い斜面に向かいました。

一滑りして雪もひどくなる一方なので、ちょっと休憩してから帰ることにしようと決めました。コーヒーを飲んでレストハウスを出て、帰りのコースにスノーボードで向かいます。もともと地吹雪で前なんて見えなかったんだけれど、あまりにもひどい降雪の量に整備が間に合わなくって、そこいらじゅうに吹き溜まりの雪がたまってしまい、ぼくはコースに出ることさえできなくなってしまいました。

スノーボードをかじった人ならわかってくれると思うけれど、ボードって滑っているときには新雪は最高なんだけれど、いったん転んでしまうとはまってしまい、身動きも取れなくなって再スタートすることがとても難しいんです。そしてぼくは吹き溜まりに突っ込んでははまり、突っ込んでははまりでもう体力も限界です。亀の子のように仰向けになって空を見上げて身動きも取れなくなって、「あ〜あ、こんなところで凍死したらカッコ悪いな」

フッと気が付くとすぐそばにホテルがあって、ホテルの従業員だろうか、人が出てきてスノーモービルに乗ってぼくのそばを通り過ぎていきます。「すいません。もうぼくは限界なのでそばのバス停まで乗せていってください」。「いいですよ。ちょっと待っていてくれたら用事を済ませて乗せていきます」。日本に生まれてよかった、みんな親切だ。

そしてスノーモービルの後ろに乗せてもらってバス停に向かいました。運のいいことにその人は「ブナ平ホテル」の息子さんです。志賀の住人なんだからこんな頼もしい送り手はいません。そしたらもうすぐバス停という最後の急坂が上がれないのです。「スノモが上がれないような大雪なんて数年に一度しかないですよ」などと話しながらスタックしたスノモの周りを雪かきです。何度も何度もスタックして、そのたびに雪かきです。「もうぼくはダメ、下りはOKなんだから戻ろうよ。お父さんに話して今晩泊めて」

    
街の中はこんな除雪車がたくさん出て、
大活躍しています
雪の海にとり残されてしまったようです

もう日も沈んで遠くではピステンが煌々と前照灯を照らして、ゲレンデを整備しているのが吹雪の合間に見えます。そしてぼくは息子さんとスノモの周りをひたすら雪かきしています。「こんなところで男と心中ってのもヤダな」

そのうち遠くで動いていたピステンが上がってきて、ぼくたちのほうに向きを変えるのがわかりました。そしてすぐそばまで来て明るい前照灯で照らしてくれました。光って人間に生きる力を与えてくれるんですね。嬉しかった。「このピステンでルートを作ってあげるから後を付いておいで」。地獄に仏です。

ようやくバス停まで送ってもらい、バス停のストーブにあたってようやく生きた心地が戻ってきました。雪をなめたわけじゃないんだけれど、自然って凄いです。ぼくは志賀に通い始めて10年くらいだけれど初めて知った北信地方の豪雪でした。「ぶな平ホテルの児玉君、ピステンを運転していた方、無事に帰ることができました。ありがとういございました」

そして写真はみんな次の日の街中のものです。ぼくはR・キャパじゃないから現場の惨状写真は撮ることができなかった。

そこここの駐車場はみんなこんな状態で、皆さん除雪する気力もないようです


こんな紅葉なんてぼくは見たくないです。いつもだったらもう銀世界なんですけれどね
2003.12.7

もう散々ニュースや天気予報で伝えているのでご存知だとは思うけれど、今年のウィンターシーズンの入りはまったく雪がないのです。ぼくたち遊ぶ側はそれでも我慢すればいいのだけれど、これで生活している雪国の人たちにとっては天災です。ただでさえウィンタースポーツの人口が減って大変なときに、これじゃ踏んだりけったりで悲しくなってしまいます。

11月中旬にスケジュールどうり今シーズンのウィンドサーフィンを終了して、心はもう山に向かっています。現地の話では「来てもムダだよ」ということだけれど、いてもたってもいられずにとうとう志賀高原に向かってしまいました。そして朝起きたらやっぱり言われたとうりです。周りの山には雪のかけらもないんです。今年はちょうど1ヶ月遅れだな。近所のりんご畑なんて今を盛りって感じだものな。

12月初旬に雪の便りを聞いて、またまた我慢できずに出かけてしまいました。慌てて行ったってロクなことはないのはわかっているけれど、我慢できないのがぼくの性です。ってほどおおげさなものじゃないか。でも人よりも1日も早く雪のうえに立ちたいのがスキーヤーの習性ってもんでしょ。

インターネットで情報を仕入れて、この時期一番長い距離を滑れそうな焼額山をチョイスしました。なかなかgoodなチョイスだったようで、もちろん人工雪と周辺から拾い集めてきた雪で作ったコースだけれど、快適な1km弱のコースがオープンしていました。いいんです、この時期1回雪の上に出れば満足してしまいますから。そしてぼくはシーズン初めにしては意外と体も動いたりして、今シーズンに期待を持たせます。やっぱりウィンタースポーツっていいな。

ぼくはこんな柿のある風景って大好きなんですけれどね。信州っていい地方です

いつもだったら真っ白のはずのプリンスホテル南館前の駐車場です

こんなところもあるけれど、作ってくれた人を思うと嬉しくって文句なんていえません

無風で天気のいいときには空いている駐車場でセイル干しです。たまには塩っ気も抜かなければね
ウクレレで暇つぶししている友人もいます
オッサン同士でおそろで麦藁帽子かぶってまったりしているというのも、ちょっとミョーなムードです


2003.7.10

ぼくがウィンドで遊ぶのは5月から11月までの初夏、夏、秋だけなんです。ウィンドサーフィンの本当のシーズンは冬らしくって、ぼくが遊んでいる時期には風が吹くことは少ないらしいんです。でもやっぱり冬は雪山、夏は海で遊ぶのが筋ってもんでしょ。ということでガンコなぼくはいつも海に行くと、堤防で吹かない風を待ちながらボーっとしていることが多いのですよ。

梅雨の間はプロでも天気を予想することは難しいと言う話で、ぼくなんか明日の天気なんか考えないで、朝起きたら雨が降っていたって海に直行してしまうので、どうしても風待ちの悲しい時間が多くなってしまいます。でも海の友人が付き合ってくれるから、それはそれで楽しいものですけれどね。

この日も梅雨の合間の晴れ間は覗いているけれど、やっぱり無風です。そんな時には来ている人も少ないので、すいている駐車場を独占してセイルを干したり、湿った道具を乾かしたり。そして昼ごはんに近所のラーメン屋で生ビールを呑んで時間をつぶしたり。そのうちにパラパラと集まってきた人たちがウクレレで遊び始めます。

それでも天気予報ではまるで無風という予想の時に、津久井についたらいきなり風が入っていることもあります。そんなときはおいしいです。まだ人の出てきていないすいた海面を気持ちよく走っていると、こんな写真を撮ってくれる人もいますから。これで青空でも覗いていたら最高のリゾート気分なんだけれどな。


でも風が吹けばこんなウィンドサーファーらしい姿にもなるんです



いつもの場所でいつもの展示会です


こんなに楽しいことにぶつかるんだから、
たまには集まりに顔を出しておくものですね
2003.7.4

毎年2回浅草で開催される「レザーフェア」に7月初めに行ってきました。浅草産業会館と言う地味な会場で行われるこの展示会は、ぼくたちのような仕事をしている人間にとっては欠かすことができないものだけれど、なぜかだんだん行くのが億劫になってきた。このような公開の場でブラブラと歩いていても、心のときめくような素材に出会うっていう経験がないんですよ。やっぱりぼくのなかにイメージができていて、それを探してまわるほうが正しい方法だからだろうな。

この数年レザーフェアには、ファッションを目指す人たちの来場がとても増えてきて、もちろん主催者側がそのような努力をしているのだろうけれど、今回もシューズ、バッグ、レザーウェアなどに携わりたい学生たちがたくさん来ていて、ぼくたちみたいなオッサンが少数派に見えてきてしまう。「まだぼくたちのほうが主役だぞ」などとついぼやいてみたりしてしまいます。

今年も会場をブラブラと歩いていたら、「cream」原田商店の原田さんにぶつかってしまいました。今晩はぼくもよく知っているお得意先のオーナーと一杯呑むということです。そうなったらぼくも乱入して、夜は原田さんや小売店のオーナーたちと当然浅草をブラブラです。ぼくはこっちのブラブラのほうがいいな。おいしいものを食べて、おいしいお酒を呑んで、モダンジャズでも流れていれば、話も弾んでぼくはもう何も要りません。


ちょっと分厚くて重いけれど、
今のところは満足して遊んでいます
2003.6.20.

また物欲が出てしまった。

ぼくはiモードは持っているけれど、携帯でピコピコとメールを打つのはめんどくさくて使ったことがないのです。家に帰ってパソコンで打ったほうが全然楽だし、そんなに急いでメールを打つ必要なんてなかったですからね。だからぼくの携帯はたまにiモードで天気予報を見るぐらいで、純粋に電話として使っていました。出かけるときにはいつも携帯とデジカメさえあればなんとか用が足りていたんです。

先日友人からカメラ付き携帯の話を聞きました。もちろんぼくだってJ−PHONEだとかドコモで販売していて流行っているっていうのは知っていたけれど、あの程度の画素数じゃホームページで使ったりするのには役不足で、ぼくには関係ないモノだなと思っていたんです。そしたら今度は130万ピクセルのカメラ付き携帯が売り出されたというのです。ぼくが今使っているデジカメはミノルタのディマージュXで最大は200万ピクセルだけれどほとんど130万ピクセルで使っているので、その携帯ならもう能力的には充分です。ぼくは写真を撮っている姿があまり好きではないので、これなら誤魔化せそうでちょっと食指が動かされます。

そしてDOCOMOショップで予約をいれて待つこと1週間、とうとう手に入れてしまいました。これがサイバーブルーのSO505iです。さっそく相変わらずの分厚い取説を拾い読みして使い始めました。

従来のフィルムを使用するカメラからデジカメに乗り換えたときには、写真がとても手軽になってメモ代わりに使ったり新しいカメラの使い方ができたけれど、今度のカメラ付き携帯もなにか新しい使われ方が増えるような使いやすさを感じます。そして今までちょっと恥ずかしかった撮っている姿は隠せるし、いつも持っていられるし、こりゃいいや。しばらくはこの携帯付きデジカメは離せません。

さっそく津久井浜で撮ってみました。
モデルが悪いからダメな写真だ



こうやってみてもけっこうでかいセイルだな。イエローはぼくの好きな色だし、ナッシュはお気に入りのブランドだし、これでしばらくは遊べそうです
2003.6.1

ウィンターシーズンが終わればすぐに海の季節が始まってしまい、ぼくは今年もウィンドサーフィンにはまっています。でも今年は出足から風との相性が悪いようで、なかなかおもしろい風域の風には当たりません。弱ければ全然走らないし、強すぎればぼく程度じゃ出艇もできないというけっこう微妙なスポーツなんです。

去年まで使っていたぼくのマキシマムサイズのセイルがあまり気に食わなくって、今年はシーズンイン早々に新しいセイルに替えることにしました。ちょうどナッシュに欲しいサイズがあったので。これでぼくのウィンドの道具はほとんどナッシュになってしまったな。といっても興味のない人には何のことかさっぱりわからないだろうな、ごめんなさい。

今度のセイルは490cmのマストを使います。ぼくの身長の3倍もあります。そして面積は7,6uだから4畳半よりも広いんです。セイルのうえで生活できてしまう広さですよ。そんなにビッグなセイルで風を受けて走るんだから、どう考えても疲れる遊びです。

今日は無風、セイルを立てているだけでも疲れます。そんな日でもぼくは出艇します。波打ち際でこんな風にセイルを立てて、波のタイミングを見ながらボードに飛び乗って沖に向かいます。そして沖で友人にコーチしてもらったり、セイルを落として波に揺られながらくだらない話をしたり。夕方になればお楽しみのビールが待っていますから、少しでも体を動かしてお酒にそなえましょ。

こんな条件の時にはのんびりしたスポーツだけれど、風が吹いたら一変します。今度ははそんな時のレポートでもしましょう。お楽しみに。
こんなふうにセイルを頭に載せて、タイミングをみてボードに飛び乗ります 最初の頃はこの程度で走っても感激したものです。ボードの波切り音しか聞こえなくって、とてもリラックスできます。

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