昭和30年代って職人の時代だった


  今から40年ほど前の昭和39年に東京オリンピックが開催されました。1964年のことです。ぼくは中学生だったからリアルタイムでは何も知らないけれど、その時代の少し前の昭和30年代って職人の時代だったと思います。職人さん達と一杯呑みながら彼らの話を聞いていると、「おもしろい時代があったな」という思いも込めて、「そんな時代もあったんだ」という思いを強く持ちます。
 
 まだその頃は集団就職の列車も走っていて、今アイソラのサイフを作ってくれている職人さんの多くも、その時代に地方から東京に働きに出てきました。ハンドバッグの職人さんもサイフの職人さんも、同郷の親方を頼って上京した人が多かったようです。そして親方の家の大広間のような仕事場に「台箱」を与えられて、仕事を仕込まれました。夜になれば「台箱」を隅にかたして布団を敷いてそこで寝るし、休みはお正月とお盆だけという、いまでは考えられない環境だったようです。
 
 その頃はまだ仕事よりも職人のほうが多かったので、技術が悪ければ当然仕事も回ってこない、だから必死に腕を磨いていました。「紳士物の職人」と呼ばれる人達は、「いつか認められて、東京の中心にある百貨店の特選売り場の束入れを作ってやる」と思い、レベルアップしていきました。
 
 昭和40年代になると、ぼくはその頃この業界に入ったのだけれど、なんでもモノが売れた時代で、職人さんは技術よりも手離れが早く数量をたくさん作ることを要求されました。仕事もたくさんあったので、郊外に家を買って、近所の主婦をパートにして下仕事をやらせるという分業方式が発達しました。この頃から技術がアップしなくなったような気がします。
 
 昭和50年頃になると、それまでは親方が雑誌を参考にしながら新型を作ってきたのに替わって、デザイナーと呼ばれる人達が出てきました。そして職人芸よりもデザイン優先の風潮になり、今に至るまでその傾向が続いています。ちょうど1980年代前半のことで、今ファッション的には注目されて久しいけれど、この時代のデザイン重視、技術軽視の風潮がその後のブランドブームを招き、ブランドさえ付いていれば品質は二の次というような中国製のライセンス製品の乱立という1990年代を招いたのだと思います。

 「ユニクロ現象」などといって、一定水準の技術さえキープできれば、そして材料もそこそこのモノさえ使えば、あとは安ければ安いほどいいという考えが現在、支配的です。中国をはじめとする東南アジアの流れ作業の工場を使えば、このような考えにならざるを得ないと思います。でもこれは機械などの工業製品に対する考え方であって、ぼく達の扱っているサイフのように、1点1点職人が作っている手工業の製品は違うと思う。やっぱり職人には技術を磨いて欲しいし、ぼく達はそれを正当に評価したい。そして納得がいくモノを消費者に届けたい。だからアイソラは生産を海外に移さないで、日本国内で作り続けているのです。 
 

BACK
HOME